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西部大開発の大きな柱

街中は多くの人混みで活気に満ち、高層ビルの建設や道路工事でごったがえしていた。中心街のモスク寺院の横にあるバザールでは、青空レストランが開かれていた。ここでは、ウイグル人の軽業師がビルの間に張り巡らした綱を渡る興行をおこない、ステージではウイグル人、モンゴル人、カザフ人、ロシア人、漢人がそれぞれの民謡を歌い、食材の味付けもさまざま、多民族地域の文化と食を堪能した。ただ、お客は内地からの漢人観光客がほとんどだった。次に回った天山山脈北側のクェトンとその近郊の石油精製センターである独山子(ウイグル名でマイタグ「油の山」の意味)もビルが目立つ町並みで、漢人が人口の圧倒的多数を占めている。いずれも荒々しい開拓の街の趣きで、中国政府が国策としてこの10年ほど急ピッチで推進している西部大開発の現場である。

この西部大開発の大きな柱の1つが、新疆における石油・天然ガスの開発である。新興ウイグル自治区は、石油の確認埋蔵量が中国全体の4分の1、天然ガスのそれが3分の1を占めている。エネルギー消費量を急増させている中国で、その最大の供給源になろうとしているのだ。トルファン近郊の火焔山(孫悟空の話で有名な山)の麓で、油田の塔が火を噴いているのを目にした。数十の掘削機がバックのように忙しく動いている。火焔山は陽光の関係でそれほど赤々としていなかったが、油井の炎は赤々と燃えあがっていた。観光地として有名な火焔山と燃えあがる原油の炎-新興の今日の断面を物語る眺めだ。お隣のピチヤンでは、鉄道沿線から四つの大きな石油タンクと多くの掘削機、そしてパイプラインが見えた。

この一帯は、トルファン・ハミ盆地油田地帯の1つである。この火焔山山麓の油田は現在、年間300万トンの原油を産出しているが、計画では最終的にその五倍の生産量を見込んでいるという。新疆の石油・天然ガスの産出地は、このトルファン・ハミ盆地油田のほかに、カラマイ(ウイグル語で「黒い油」の意味)油田、タリム盆地油田、の計3ヵ所である。それぞれ急ピッチで開発がすすんでいる。2010年には石油で年間4500万トン、天然ガスで年間284億立方メートルの生産を見込んでいる。最大の油田地帯カラマイでは、独山子などに石油精製施設、石油化学工場が建設されており、原油だけでなく石油製品が、すでに新疆全域に供給され、上海など沿岸工業地帯にも送られている。

また、タクラマカン砂漠にあるタリム盆地油田からは、すでに天然ガスのパイプライン「西気車輸」が上海まで繋がっている。こうして新疆は、世界的に有名な観光地という姿に、中国最大のエネルギー資源基地という姿も加えることになろうとしている。山脈北側にあるタイトンから天山山脈の東端を乗り越えて、イリ地方の中心都市・伊寧に入つた。山越えのハイウェーは一車線になり、くねくねとした道がつづく。海抜2800メートルの最高地点では、真夏にもかかわらず小雪がちらついたこ途中で出会ったのは、羊や馬を山地で放牧している騎乗のカザフ人たちだけだった。

タイトンではモンゴル人の顔をよく見たが、このあたりの山地ではカザフ人が多数、住んでいる。国境が引かれる前の昔から、ここで遊牧生活を営んできた人びとである。伊寧はヴイグル語で「クルジャ」と呼ばれている。ウイグル人の多い街だ。天山山脈から流れるイリ川に沿ってカザフ平原に広がるイリ盆地、その要衝の地に開かれている。ここはユーラシア大陸を東西に結ぶ土地の1つとして、多くの遊牧民族が往来し、古くから栄えてきた。この一帯は緑が濃い。新疆の大河、イリ川とその2つの支流の恩恵を受けて、盆地一帯に農地が広がっている。これまでの砂漠地帯とは様変わりで、豊かな土地なのである。帝政ロシアと清かこの土地の支配をめぐって激しく争ってきたのも、うなずけるものだ。

父性復権への道

漱石の当時では、ブラブラと遊んでいられる者は限られた裕福な家庭の子弟にすぎなかった。しかし今は社会全体が豊かになったため、定職につかなくとも、フリーターと称して好きなときに好きなアルバイトをして食べていかれる時代である。若者は「モラトリアム」とか「永遠の少年」と言われる状態をいつまでも続けていられるのである。大量生産される無気力青年たちは、今度は何を社会にもたらすのであろうか。これまでの議論で、父性とはどのような性質を言うのか、父性はなぜ必要なのかについては、ほぼ言い尽くしてきたと思うので、最後に父性を復権させるために、どうしたらいいのかを考えてみたい。しかし積極的な方策を示す前に、父性について起こりうる誤解をあらかじめ正しておかなければならない。その第一は、役割分担論との関係で男女平等を否定するのではないかとの誤解、第二は父性と男性性とを混同する誤解である。

その第一は、男女間の役割分担に対する批判的な態度からくる誤解である。最近、家庭内における男女の(父親と母親の)役割分担を見直そうという意見が強くなっている。それは女性の社会進出が進む中で、改めて男女平等のあり方が問題になっているからと考えられる。父は外で働き、母は家で家事と育児をするという役割分担の公式は、外で仕事を持つ女性が増えてきた時代に合わないのは当然である。役割分担論への批判は、単に家事の分担にとどまらないで、子どもの教育やしつけについても考えられている。従来の、父親は厳しく母親は優しくという、厳父慈母という役割分担に対しても、父親も優しくなければならないし、母親が厳しくてなぜいけないのか、という形で疑問が出される。

家庭の中での役割分担について、私は基本的にはあったほうがよいと考えている。分担や分業そのものまでも否定するのは行きすぎというものである。もちろん不当な分業は否定されなければならない。またその分担の仕方は男女間で公式的に決まっているわげではなく、夫と妻それぞれの得意不得意、性格の違いによって個別的に決められるべきものである。そのことを確認した上で、父性をめぐる役割分担について言うと、父性については、基本的には父も母も両方が持だなければならないと考えている。どちらかが一方的に担うべきものとは考えていない。だから私は父親の役割とか性質と言わないで、父性という抽象的な言葉を使っているのである。もし読者の中に、父性は父親だけが持つべきものだと理解した人がいるとしたら、それは大きな誤解だということを、ここでとくに断っておきたい。

したがって、もし家庭の中で父親に父性が足らない場合には、母親が父性を発揮して子どものしつげにあたるということは可能であるし必要でもある。祖父が代わりを務めることができるのはもちろんである。また父親に父性がある場合にも、母親が父性を持たなくてもいいということを意味しない。つまり父性に関して現実にどのような役割分担をするかということとは別に、誰が分担しようが、父性という性質を体現する存在が必要だと言っているのである。もちろんその性質を父性と名づげているということは、父性を体現する者は父親がなるのが適切だという考えがあることは確かである。そう考える根拠はすでに述べたので、ここでは繰り返さない。

そのような見方に対して、女性の側から反発する人がいることは十分に承知している。現実の父親たちが父性を担うのに適しているとはとうてい言いがたいという現状もある。しかし父性が必要だという議論は、決して男女平等という観点と対立するものではない。ただ家庭の中で父性を担う者が是非とも必要だということだけは、これまでの議論から納得していただけたことと思う。第二に、よく見られるのが、父性と男性性の混同である。男らしい人が父性がある人だと思われている場合が非常に多い。しかしこれはたいへんに危険な誤解である。単に男らしくても、父性のない人がいるからである。男らしいというのは自分だけで持ちうる性質であるが、父性というのは家族に対する関係や態度である。

有期契約者の半数を占めるパートタイマー

厚労省は平成21年(2009年)2月に有期労働契約研究会を設け、平成22年(2010年)9月10日に取りまとめた報告書を公表しました。それによりますと、「『臨時雇(1ヵ月以上1年以内の期間を定めて雇われている者)(日々又は1ヵ月未満の契約で雇われている者)』の合計で見たとき、昭和60(1985)年の437万人から平成21(2009)年には751万人(雇用者総数の13・8%)に量的に増加し、また、特にこの間の平成19(2000)年から3年ほどその増加のピッチが上昇した後、高止まりしている。」という前提のもとに、「最近生じている実態を見れば、平成20年末以降、雇用情勢が急激に悪化する過程で、いわゆる『非正規切り』など有期契約労働者の雇用不安が大きな問題となった。

『いつ解雇や雇止めされるかわからないから』ということを不満とする者は有期契約労働者全体の41・1%に上っており、雇止めに係る紛争も増加している。加えて、賃金の水準が低いなどその労働条件が正社員より低位にあり、働きや貢献に照らしてもバランスを欠いたものとなっていることが一般に指摘されている。」「このように、有期契約労働者にとって雇用の不安定さは、依然として大きな課題である。」としています。そして「このような雇用の不安定さ、待遇の低さ等に不安、不満を有し、これらの点について正社員との格差が顕著な有期契約労働者の課題に対して政策的に対応することが、今、求められている。これらの課題は、有期労働契約が様々な目的や動機により利用・活用される過程において、結果的に生じたものという面もあることを踏まえ、今後は、契約の締結から終了に至るまでを視野に入れて、いかにして有期労働契約の不合理・不適正な利用がなされないようにするかとの視点が重要となってこよう。

すなわち、有期契約労働者の雇用の安定、公正な待遇等を確保するため、有期労働契約の不合理・不適正な利用を防止するとの視点を持ちつつ、有期労働契約法制の整備を含め、有期契約労働をめぐるルールや雇用・労働条件管理の在り方を検討し、方向性を示すことが必要と考える。」と報告しました。同報告を受けて、厚生労働省の労働政策審議会で、「有期労働契約をめぐる法制度」の見直しについての審議がヽ平成22年(2010年)10月26日からヽ同研究会報告を中心として開始され、平成23年(2011年)12月26日に「有期労働契約の在り方について」という建議を行いました。

その内容は、有期労働契約について、①有期労働契約の長期更新者の無期労働契約に転換させる仕組みの導入、②雇止めの法理を制定法化し、明確化を図る、③有期労働契約の労働条件について、職務の内容その他を考慮して、期間雇用を理由とする不合理なものであってはならないこととする、といったものでした。この建議を受けて立法化されたのが、今回の労働契約法の改正です。しかし、「有期労働契約の適正な利用のための新たなルール」の設定を謳われていますが、わが国の安定した雇用体系を壊すことになるような問題と、今後の訴訟リスクを増大させる危険をもったものといえます。特に、有期雇用者の約半数がパートタイマーであり、約20%がいわゆるアルバイトであるという実情からみれば、これらの労働者のなかには、有期労働自体を希望している者も多く、前記の「報告書」や建議に述べられているような、正社員を希望しつつ非正規労働者にとどまっていて、立法による解決が真に必要な対象者数は、限られているのではないかと考えられます。

そして、有期契約者の半数を占めるパートタイマーについては、別途現行の「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律」(通称「パートタイム労働法」)の改正によって対応すべきであり、すべてを今回のように強制雇用ともいうべき手段を伴った労働契約法の改正により行うことには、重大な問題がある雇用体系を混乱させる法改正有期雇用者の急激な増加によって、雇用不安定と経済的な貧困者の増加などの問題が生じ、何らかの対策が国の政策としては必要でしょう。しかし、その方法として今回のような「無期雇用転換申込制度」の創設という、採用の自由を制限するいわば強制採用のような「みなし雇用」方式を中心とすべきであったかについては疑問があります。これは従来のわが国企業の安定した雇用体系を混乱させ、かえって新たな問題を引き起こす改正ではないかと思われます。

必要な情報はどこから入手するのか

格付け料金は、S&Pの場合、長期債は債券発行額の○・○三二五%であるが下限二六〇万円、上限一三〇〇万円となっており、以後一年以上新規の長期債を発行しないときは年間二六○万円から四二〇万円程度の格付け監視料を支払う。コマーシャル・ペーパー(CP)は発行時の格付け料四二〇万円を発行残高がなくなるまで毎年支払うことになっている(ただし、二本目の発行以降は料金が減額される)。なお、ストラクチュアード・ファイナンスなど特殊な債券の格付け料は内容に応じて個別に決められる。日本のR&I(日本格付投資情報センターの場合、長期債については発行時に五〇〇万円、以後メインテナンス・フィーとして毎年二〇〇万円を支払う。CPについては、発行時五〇〇万円、以後毎年二〇〇万円プラス残高に応じた割合となっている。格付けが決定して、起債者がそれを受け入れることが決まると債券発行の手続きに入る。債券の引き受け、販売はインペストメント・バンクが行う。

アメリカでは、NRSRO(全国的に認知された格付機関)としてSEC(米国証券取引委員会)に登録している格付け機関に限って、債券の発行目論見書に格付けを記載して販売することができる。起債予定者が与えられた格付けに不満な場合は、理由を説明して再度審査してもらうことができる。しかし、再審査後の最終的に確定した格付けにも不満な場合は、格付けなしで起債するか、資金調達を銀行借り入れに切り替えるか、資金を必要とするプロジェクトを取りやめるかの選択に迫られる。債券発行後、格付け機関が格付けの変更の必要が生じたと認めたときは、起債者からの依頼の有無にかかわらず格の変更を行う・格付け機関は被格付け会社に連絡をして見直しの趣旨を説明し、反論のためのデータなどを受け入れるが、最終的に意見の一致を見なくても格の変更の発表をする。

特に、格下げの場合は、格付け機関と被格付け会社の間に認識の一致が得られないためにしこりが残り、被格付け会社が格付け契約の破棄を要求する場合もある。そのような場合でも、格付け機関としては投資家に対して情報を提供し続ける義務があるので、格付け記号に何らかのマークをつけて発表することがある。重要な情報の欠落などによって格付け審査が不能になった場合は、格付けを留保して格付けリストから外すこともある。起債者からの依頼がない、いわゆる「勝手格付け」ないし「自動格付け」においては、格付け機関と被格付け会社との間に接触がないまま格付けが行われる場合がある。公表情報だけで格付けが行われるために通常よりも厳しい格がつけられる傾向があり、被格付け会社が反論のために内部情報などを携えて格付け機関を訪問し、以後継続的な依頼関係に基づく格付けが行われるというケースもある。

起債者からの依頼のない格付けには、S&Pはpl(public information)、R&I(日本格付投資情報センターはop(official publications)の記号をつけて識別しているが、ムーディーズは区別をしていないので外部の者にはわからない。また、格付け会社の中には投資家の依頼によって特定企業の債券の格付けを個別的に行うところもある。その場合は、格付け結果は依頼人である特定の投資家にのみ伝達され、一般の定期購読投資家には知らされない。格付け分析のための情報は基本的には被格付け会社(起債者)が提供する。過去十年程度の決算書類とその明細、業界地位に関する記述、借り入れ、起債、増資などの予定、債券発行に伴う信託証書(案)、債券発行後の予想収支、資金計画などが主な提出書類である。収支、資金計画は債券発行後五年間程度の予想を作成することが求められる。

マラリアの恐怖

焼畑は、一時的に山林の一角を自然から預かり、作物を育てる場とし、収穫を得たあとはそこを自然のもとに返すという、自然と人間の暗黙の約束に基づいてなされている。作物自体も本来は野生であったものが、栽培化されるようになったのであり、毎年、種だけを残して村人に食べられてきた。また、村人は野生植物そのものも採って食べている。焼畑や森の植物・動物の生き死にと歩をそろえるように、村人も先祖代々生き死にを重ねてきた。彼らは死ねば土に還り、墓は草やぶに覆われ、いつか亡骸も草木の肥やしとなる。廃村になれば、家もやがて森に呑みこまれる。そんな人達だからこそ焼畑で、草木を伐り、焼き、抜きとり、草木や虫などの死を前提として糧を得ることを、自然から認められているのだろう。たとえ辛い事はあっても、森と焼畑の恵みによって、懐かしくも自由な暮らしをしてこられたのだろう。

人も植物も動物も同じ山地の自然の巡りのなかで、生まれ、生き、死に、そして生まれを繰り返している。埋葬された村人の肉体も魂も土に還って、そんな山地世界の内部に溶け込んでいくに違いない。とすれば、現世の山と他界の山は重なり合っており、実は2つの側面を持つ同じひとつの山なのではなかろうか。2人の後ろ姿が消えたその先に、草深いニンテイン村の佇まいと村人の面影を思い描いた。ツゴムラ村に着いてまもなく、またマラリアが発病した。執拗な病原が体内深くに巣喰ってしまったらしい。真夜中、熱に火照る体をサマダー家のジャックフルーツの木が生える裏庭に何度も運び、嘔吐した。飲んだ白湯をそのまま吐き、しまいには苦い胃液が口をついて出た。1週間ほど寝こんで少しよくなり、旅団本部に戻った。日本とは違って12月から1月に咲く山桜の花が、林のあちこちを彩り、旅に病んだこの身に故郷をしのぼせる。大晦日の深夜から1987年元旦の未明にかけて、雷鳴と稲妻と風雨が上空で渦巻いた。雨足が去ると、またしても氷の悪寒が押しよせた。マラリアの語源は、イタリア語の「悪い空気」という言葉にあるが、カチン語では「カーリー」(水の疫病)と呼ぶ。

近年、ハマダラ蚊が媒介する原虫によるものだと知られつつあるが、いまでも悪い水にあたって発病すると考える村人も少なくない。さらに、精霊信仰では、マラリアにかかるのは森の悪しき精霊が災厄をもたらすからだと信じられている。わたしの発病が度重なり、病状が悪化する一方なのも、きっと森の精霊(ジトゥン・ナット)のせいにちがいない、という村人や兵士のささやきも耳にした。体中の血が煮えたぎるような熱にうなされる夜、マラリアは「森の熱」だという奇妙な考えにとらわれた。遥かな昔、熱帯の樹海の奥で生まれた、肉眼では見えないマラリア原虫は、獣の血のなかに寄生し、ハマダラ蚊に媒介されて広まり、宿主の生死にそって生きてきた。人類の祖先である猿類の体にも、数ある微生物のひとつとしてとりついた。猿は原始の森の樹上で暮らし、森の恵みに育まれていた。その生と死を森林の生態系に委ねていた。だから、無数の微生物が体内に巣喰い、たとえばマラリア原虫などによって病を引き起こされ、時には死にいたらしめられる、という宿命を負っていた。それは、まさに森に生きていることのひとつの証でもあった。マラリア原虫との関わりを、人類も引き継がざるをえなかった。悪寒と高熱に苦しむとき、小暗い樹の上で震えていた遠い遠い祖先の呻き声と影が、脳裡にゆらめく。原虫がうごめく血液のなかに、原初の森の暑く蒸れた闇をはらむ、病の記憶が蘇る。

その病は「森の熱」と呼ぶにふさわしく、目に見えぬ森の精霊のようなものと思われても不思議はない。1月10日頃から、キニーネなどの薬を飲んでも、熱は片時も引かなくなった。体の芯がいつも燃えて、夜も眠れなかった。飯倉に貯めた湯ざまし以外は喉を通らず、嘔吐もひどく、高熱に骨と肉から脂汗を絞られ、やつれ果てていった。日にちの経過もわからなくなり、ただ蒼ざめた昼と夜が繰り返した。やがて、わたしの意識は混濁していった。病後に聞いたところによると、うわごとを口走りながらうろついたかと思うと、全身を引きつらせて倒れ臥し、それを繰り返した末に意識不明に陥ったらしい。それからは寝たきりで、水も何も受けつけなくなった。旅団本部やソロ・コン村にあるカチン独立機構運営の人民病院の軍医と看護兵、それに兵士や将校といった大勢の人間が、交代で昼夜つきっきりの看病をしてくれた。貴重な注射や点滴や薬草によって、手厚い治療を施してくれた。一時は体が冷たくなりかけ、虫の息となったが、ラードイ軍医がわたしの体をくまなく空き缶の底で強くこすって刺激を与える民間療法のマッサージをしてくれたおかげで、息を吹きかえしたという。

わたしは最も重い熱帯熱マラリアに蝕まれたらしかった。1週間、2週間と、生死の境を彷徨った。前後の脈絡がない記憶の断片だけが、心のヒダにこびりついた。土間の焚き火の炎が、頭上に吊った点滴のガラス容器を朱に染めていた夜。手指の先を針で突いて、病毒に冒された悪血を滴らせるために、右腕の付け根から手首までを布でギリギリ巻かれた時の痛みと痺れ。地面から伸びた無数の手によって、体が竹の寝台ごと凄まじい力で地底に引きずり込まれそうになった幻覚。寝ずの看病をする人たちの影。みんなが懸命に治療と看病をしてくれたにも関わらず、容態は危ういままだった。やはり何か悪しき精霊が祟っているに違いないとされ、旅団本部で精霊信仰の儀式がとり行われた。近くの村々から祭司たちが呼ばれ、牛や豚や鶏を供犠し、雷の精霊や森の精霊などを祀った。悪しき精霊による災厄を祓い、病気平癒を祈願してくれた。

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一般化した物語消費論的現象

「ARG」とは「代替現実ゲーム」と訳されるところの、現実世界の上で展開されるある種のRPG的なゲームである。最もよく知られるのは『バットマンビギンズ』(二〇〇五年)の後を受ける形で行われた『ダークナイト』(二〇〇八年)公開に向けたキャンペーンである。「Why So Serious?」と題されたキャンペーンで、作中のキャラクター、ヤーヴェイ・デントが「地方検事選挙」に出馬し、その選挙キャンペーンをファンたちが「ごっこ」として現実と同じ装いの選挙運動をし、それを「バットマン」作中の新聞である「ゴッサムタイムズ」を本当にwebに出現させ、マッチポンプ的に煽っていく。ファンたちもあたかも本当の選挙のような応援サイトを作り、さらには現実に集会やデモをやったりもしたようだ。このあたりはwebで今でも動画が確認できるので、各自にあたっていただきたい。ソラゴトと受け手は知りつつ現実の側に虚構が侵蝕し、あるいは虚構のリアリティが「現実」の装いを帯びていくことで情報が虚実の皮膜を横断する手法である。

こういった虚実の混乱はwebを介した時、演出し易いものであり「ARG」なる概念が一時、注目された理由でもある。ここで物語消費論はARGをあらかじめ予見していたとは、それ自体がどうでもいいことなので言うつもりもない。しかしネットでこの語を検索していると、その「専門家」によるARGの定義の構成要素として「トランスメディアストーリーテリング」「参加者のコミュニティ化」「代替現実感」の三点を挙げていることには一応、触れておく。多メディア間で物語を展開する際、単純な「メディアミックス」と区別すべきなのは、「本」や「映画」「DVD」といったパッケージされた物語の従来型のソフトではなく、さまざまな「商品」や「場」を「メディア」とみなすことが物語消費論及びARGの前提だ、ということだ。「ビックリマンチョコ」がシール裏面に「断片的情報」をプリントしたように、多メディア間のストーリー展開では「完成されたストーリーをパッケージされたソフトに入れたものを商品とする」という考え方に限定されない。「物語」そのものではなく「物語を構成する情報」そのものが商品となり、「受け手」はそれにコミットしつつ「物語」世界に一定の主体性を持って参加する。

「バットマン」のキャンペーンなら、「ゴッサムタイムズ」という仮想現実上の新聞のWebサイト、キャンペーン集会を本当にやってそれをYouTubeに投稿した映像、あたかも本物の選挙のような候補者の支持を訴えるサインボードやTシャツもまた「物語の断片」を乗せることのできる「メディア」なのである。こういった「遊び」はコンセンサスを共有する集団が存在した方が有効である。コンセンサスとは、後に述べる「物語」生成の場ないしはデータベースとしての「世界」であり、それを共有する集団の一番わかり易い形が特定の作品のファングループだが、別にカルト教団でも閉鎖的な社会体制であっても「現在の日本」であっても理論的には同じである。ARGないし物語消費論において参加者は「世界」像の確認と再生産によって集団への帰属意識を高めていくことになる。その結果「代替現実感」は生成していく。現実は「口承」(オーフル)を含む、メディアを介して共有されるので多メディア展開は虚実のボーダーを崩し易いのである。

そもそも「物語」と「現実」の関係はそう強固なものではない。「昔話」がどの文化圏でも「発句」と「結末句」によって閉じられているのは、それが「フィクション」であることを明示するためのものであり、「物語」は常に「現実」と錯誤されうる体質を持つ。それは人々が何事かを理解する「因果律」の一つとして「物語」が存在するからである。一方で「メディア」という大量伝達の手段は、「ニュース」という形で「現実」を伝達するツールであるが故に「フィクション」と断り書きがない場合(あるいはあっても)それを現実と混同するケースが生じる。有名なのはラジオというメディアの黎明期において、火星人襲来のラジオドラマが「現実」と混同された有名なエピソードだろう。またweb上の「情報」に対する依存度と信頼度は既存のメディアよりも強く、web情報を「事実」や「現実」と錯誤し易い環境は肥大している。webという誰にでも情報発信ができ、世界像が共有され易い環境が成立した時、多メディア間で「世界像」や「コンセンサス」がユーザーの参画によって生成され、それが「現実」に越境する物語消費論的な現象は、その意味で一般化してきたといえる。そもそもメディアミックスとは、異なるメディア間で同一の素材を展開していくビジネススキームだが、「現実」は新聞などの言説やニュースやドキュメンタリーの映像、web上の映像(何故か「動画」と呼ばれる)、そして、web上の無数の「つぶやき」や「書き込み」といった言説によって今や構成されている。

同時にぼくたちの現実はメディアとの関係性の中での多様な消費行為によって、その一部は成り立っている。一つの「素材」が「情報」として(それが「事件」であっても「フィクション」であっても)、メディア間を横断することによって案外と容易に虚実の境界を越えることが可能である。情報(言説と映像)は「組み合わせ」によっていくらでも事実を「虚構化」し、「現実」を装うこともできる。webはそのような操作性を万人に開いてしまった、といえる。「正チャン」のファンたちが見たフィクションの中の世界を「もう一つの現実」とみなす約束事によって作品を「読む」だけでなく作中の情報に整合性を求めていく、ある種の「謎本」的モチベーションに支えられた遊戯はコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」に対するシャーロッキアンや、ラブクラフトのホラー小説に「クトゥルフ神話」を見出したマニアたちの態度にも見てとれるだろう。ただ「正チャン」が特異なのは、大人のマニアではなく小学生を中心とする読者によってそのような知的遊戯が自然発生したことにある。重要なのは「フィクション」内をもう一つの「現実」とみなす知的遊戯の起源はネット以前にある、ということだ。

ビルマ軍との交戦

ニンティン村を去る日も近づいた。モクー・ノーの母はしばらく前から、息子のために麻糸で前開きの袖なし羽織(ベスト)を織っていた。居座機に足を投げ出して向かい、背筋を伸ばし、しわだらけの手で木製の刀抒をトン、トンと打ちこむ。規則正しいその音が根気よくつづく、家族の絆も同時に織られているような感じが伝わってくる。毎日、少しずつ織ってゆく。できあがっだ白い無地の袖なし羽織は、ごわごわした手ざわりだが、じょうぶそうで、狩りや焼畑の伐開など山仕事にうってつけだ。それをモクー・ノーはだいじそうにおりたたんで背嚢に入れた。九月一五日、雲間から日が照る午後、わたしとモクー・ノーは村を後にした。妹が嫁いでいるクムシュン村まで、兄のモクー・ガムさんも同行することになった。「あとひと月で雨季も明けて、実りの季節が来るのに去ってしまうなんてね。でも、必ずまたおいでなさいよ。ここは、あんたもそのひとりのソシャン・マラン氏族の村なんだしね。道中、くれぐれも体に気をつけてゆきなさいよ」と、モクー・ノーの母親や村人たちが見送ってくれた。

わたしは、いつかまた訪ねてきたいと希望を述べ、お礼の言葉をくりかえした。モクー・ノーは、「総司令部へ下る前に、もう一度帰るから」と言って、いつものようにすたすたと歩きだした。山道から、谷をへだてて焼畑が見えた。ホーク、オーツ、ホークと手長猿の呼び交わす声が、川上の森の方から聞こえてきた。九月一七日、再びマリ・クラン・ワロン地方を訪れた。焼畑では、鳥追いの竹が鳴る音と若者の叫び声がこだましていた。一週間後、マリ・クラン・ワロンの北端、プンヌン・カン村に着いた。ツァオ川渓谷に面した山腹に家が十数軒あり、人の姿はちらほらとしか見かけない。家のなかもがらんとして、鍋や皿が片隅に置いてあるだけだ。村人は焼畑の出作り小屋や山中のかくれ小屋に、わずかな家財道具と稲籾と鶏や豚を移して住んでいる。家にはたまにしか帰ってこない。村とそのまわりには、カチン独立軍第七大隊およそ五〇名が駐屯している。「村人がいないのは、ビルマ軍を恐れているからなんです。去年、パツ・ヤン・チャイ・ワロン地方の村々をビルマ軍が焼き払って、村人をマリ川西岸に強制移住させました。

次はパツ川とツァオ川にはさまれたこのあたりが狙われるんじやないかと心配してるんですよ」中隊長のソマイ・ノー・サム中尉は、わたしと力強く握手を交わした早々、色白の顔をくもらせた。カチン独立機構の行政区分のひとつ、ニンウォム・ボム地区はツァオ川以北で、この村もふくまれているが、もっと北のパツ川とチャイ川にはさまれたパツ・ヤン・チャイ・ワロン地方が大部分を占めている。地区には去年まで、二九村、約四〇七世帯、およそ二三一〇人が住んでいた。しかし、一九八五年三月から一年ほどの間に、パツ・ヤン・チャイ・ワロン地方にあった二四村は、次々と廃村になってしまった。約三四八世帯およそ一八七八人が、強制移住させられたり、やむをえず自ら移住したり、あるいはパツ川以南の解放区に難民となってのがれたりした。老いも若きも男も女も、住みなれた土地から引きはがされるように離れなければならない運命におちいった。この異変はどうして起こったのか。ソマイ・ノー・サム中尉が説明してくれた。「八五年三月一五日の朝早く、ビルマ軍第四六大隊の一個中隊が、ビン・ヤン村に奇襲攻撃をかけてきたんです。前の日の夕方、ひそかにマリ川を渡っていたのでしょう。村には、カチン独立軍第七大隊の一個分隊が泊まっていました。

村はずれに立っていた歩哨が、ビルマ軍を見つけて先に発砲し、たちまち戦闘になりました。われわれは民家から飛び出て小高い位置に陣どり、村人たちは家のなかで身を伏せたり、森に逃げたりしたんです。ビルマ軍は迫撃砲を撃ってきて、砲弾のひとつが小さな家に命中してしまいました」そこには、ソシャオ・コさんという六〇歳くらいの老婆と、遊びに来ていた親戚のジャパン・コという四歳くらいの女の子がいた。老婆はおびえる女の子を抱きよせていた。しかし、作裂した砲弾の破片が、女の子の右半身に当たり、重傷を負わせた。戦闘は一時間ほどで終わり、ビルマ軍は引きあげたが、その女の子は翌日の晩、母親のンマイ・コさんに看取られながら永遠の眠りについた。父親のジャパン・オン・シャン軍曹は留守中で、長女の最期に立ち会えなかったという。「この戦闘が、パッ・ヤン・チャイ・ワロン地方から村を消してしまう、呪わしい作戦の前ぶれだったんですよ」本格的な侵攻は、焼畑の火入れをしてまもなく始まった。八五年四月二九日、ビルマ軍部隊約四〇名がマリ川を渡り、その深夜、三〇日の午前零時すぎ、カシュー村に侵入、泊まっていたカチン独立軍と交戦した。

別のビルマ軍部隊も五月一日、約一〇〇名がノット村へ、約五〇名がトゥングー村へやって来た。急を聞いて駆けつけたゲリラとの間で戦闘になった。村人は着のみ着のままで森に逃げた。この地方で、カチン独立軍側の兵力は約六〇名と少なく、装備も格段に劣っていたため、地形を利用したゲリラ戦で抵抗したものの、敵を撃退できなかった。ビルマ軍はソガラン村とノット村に陣地をかまえた。「ビルマ軍は打を根こそぎにして、カチン独立軍を支える土台をくずそうともくろんでいます。村人がいなくなって、草刈りされなくなった道は、数年で通れなくなるんですよ」ここカチン州北部でも、ビルマ軍の四断(ピャ・レ・ピャ)作戦が進められているのだ。八二年から八四年までに、マリ川西岸プン・イン・ヤン地方のおよそ二三村が無人地帯化されてしまった。村人は、スンプラボムとプ・タ・オ間の自動車道路ぞいにつくられた「戦略村」に強制連行されたり、マリ川東岸の解放区へ逃げたりして、散りぢりになったという。

かつて日本は美しかった
大東亜戦争・ビルマ

私たちの先人は大東亜戦争を戦ったのです
先の大戦について肯定的に語ることがタブーのような空気に包まれている日本に於いては、日本人自身のそういった発言はすぐに色眼鏡で見られ、レッテル張りされてしまいます。そこで外国人の意見を集めてみました。

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石油の視点からみたイラク問題

米軍がイラク攻撃を開始したのは、2003年3月20日であった。その前の年2002年後半時点で、イラクの大量破壊兵器開発に対する国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)と国際原子力機関(IAEA)による調査が進行していた。これに平行して、イラク政府は、国連に対して生物・化学物質や核兵器など大量破壊兵器の開発計画の有無について、膨大な量の申告書を提出した。イラクに対する疑惑はこの報告書の精査と現場の査察により明らかになるはずであった。しかしながら、米国はイラクの疑惑を確実視しており、12月9日にはカタール国において戦闘態勢を整えた。米国は既にイラク攻撃を前提にして、攻撃の理由を握造しようとしていた。米国のイラク攻撃の背景は複雑なものがあり、その一つがフセイン政権のある限りイラクに民主的な社会が誕生しないという指摘であった。しかしながら、このような理由ではイラクを攻撃することはできない。

一国の元首は国民が決定するものであろう。その時点でイラクはアメリカに何の危害も及ぼしていない。アフガニスタンでタリバンを崩壊させた米国は、かつては対ソ政策でタリバンを支援して利用した。同様に親米国家から革命を経て米国と敵対するようになったイランを封じ込めるために、米国はイラクを支援し軍備を拡大させた。イラクの軍事的な脅威の一端は米国自身が蒔いた種の所為でもあった。米国は米国の言いなりになる親米政権を望んでいるのである。米国は親米政権に何を求めようとしたのか。2つ目は北朝鮮・イラン・イラクの3ヵ国を「悪の枢軸」と称し、イラン・イラクはテロを支援する「ならず者国家」であると非難し、世界の安全確保のためにイラクを攻撃するという理屈である。2001年9月のアメリカ同時多発テロをオサマ・ビン・ラーデン率いるアルカイダの仕業であると指摘し、それを保護するタリバン政権のアフガニスタンを攻撃したのであった。米国は国際社会が納得できる明確な証拠を提示する前に攻撃を開始した。国際社会においては国際社会の枠組みのなかで対処すべき事柄ではなかったろうか。米国が世界の憲兵ではない。

イラクとテロリスト集団との関係も明らかにはならなかった。あれから3年が経過しようとする時点で、ブッシュ大統領はイラクに大量破壊兵器があると信じたのは間違いであったことを認めた。3つ目は世界の世論として「石油屋であるブッシュの米国はイラクの石油を欲している」という見方である。つまり、1つ目の「親米政権に何を求めようとしているのか」に対する答である。米国とイラクの対立の構図にはまだまだ取りざたされていることが多いが、本章では「石油」の視点からイラク問題を考察してみよう。イラクの石油が世界のなかでどういう位置づけにあり、その石油をめぐる諸外国の動向を明らかにすることにより、イラクに対した米国の攻撃の背景の一面が非常にわかりやすくなるのである。2000年末時点におけるイラクの原油確認埋蔵量は1125億バレルで、その年の生産量は日量281万バレルであった。イラクの原油確認埋蔵量のOPECにおけるシェアは約13%、世界全体に占めるシェアは約10%となる。OPEC以外の有力な産油国のシェアをあげると、ロシア4・6%、米国2・9%、メキシコ2・6%、ノルウェーO・9%、英国O・5%でしかない。

イラクの埋蔵量はサウジアラビアに次いで長い間第2位であったが、近年イランの埋蔵量が上方修正されて以来、イランに次いで第3位である。イラン・イラク戦争の1980年代および湾岸戦争以後の期間に開発機会から遠ざかっていたイラクは今後の調査により埋蔵量が増える可能性が非常に高いといわれている。イラクの地位は今後もゆるぎないものである。可採年数というのは埋蔵量を生産量で割ったものである。現在の生産量がこのまま続いた場合の原油が枯渇するまでの年数を示している。イラクはクウェートおよびアラブ首長国連邦とともに百年以上となる。つまり、百年後の世界では、現在最大の生産量を誇るサウジアラビアやロシアに至るまで主要産油国の原油が枯渇する。そして、イラク・クウェート・アラブ首長国連邦だけが産油国として存在していることになる。もちろん、それまでに人類は石油に代えて天然ガスを開発利用するであろうし、燃料電池が車を走らせるようになり、石油への依存は少なくなっていることであろうが、エネルギー全体の需要が増大するために21世紀後半までは、全エネルギーに対する石油の需要は率としては変わらず消費量は増大すると見込まれる。

次にイラクの原油生産量を見てみよう。1970年代初めには150万B/D程度の生産量であったが、73年の第一次石油ショック以後急増し、1979年には約350万B/Dのピークに達した。この年はイラン革命が起きた年であり、イランの生産減少分を他の産油国が増産して補填した年であった。81年には100万B/Dを割り込むが、これはイランとの戦争による生産減少を意味している。戦争が終結した80年代末期の生産量は280万B/Dまで回復した。しかし、1990年のクウェート侵攻の翌年の湾岸戦争の結果、イラクの生産量は大幅な減少を余儀なくされた。これは国連の「イラクに対する経済制裁決議(国連安保理決議六六一号)」による影響である。その後、この経済制裁は安保理決議九八六号に織り込まれた輸出再開条件をイラクが受け入れたことから緩和の方向に移り、1996年12月から部分的に解除された。その結果、イラクは国連の管理の下で半年間に20億ドル分の石油を輸出することができるようになった。さらに、国連事務総長の判断による増加も可能となったため、1997年からイラク原油の輸出量は増加した。20億ドル分の原油とは、原油価格がバレルあたり当時は20ドル程度であったので日量にすると約55万バレルに相当した。91年から96年にかけてもわずかながら輸出されたが、これは湾岸戦争後サウジアラビアからの輸入が途絶えたヨルダンへの最小限の輸出を国連が認めたものである。

前兆との符合

現代の終末論者は、『コーラン』に描かれる終末の情景を示して読者を惺れさせるとともに、『ハディース集』に示される前兆と現代の事象との「符合」を特定して終末の接近を論じている。『世界は三つのものを待つ。待望の救世主マフディー、マルヤムの子イーザー、偽救世主ダッジャール』(シャーミー著、カイロ、一九九三年)を例にとって現代の終末論者の思考法を検討してみよう。シャーミーは『ハディース集』におけ恙終末の前兆とは預言者の言にもとづいているがゆえに真実であること、そして現代においてその一部が既に出現していることを述べる。われわれがここで語る終末の時の前兆とは、われわれの私見でもなく、人間の見解でもない。それは神の使徒であるムハンマドの言葉であり、使徒は気まぐれを語ったりなさらない。それはいと高き神から使徒に与えられた霊験であり、預言者ムハンマドはこれから生じる終末の小前兆と大前兆について語られたのである。既にいくつかの小前兆は出現している。

大部分の小前兆は現れていると言っても過言ではないかもしれない。そしてシャーミーは、『ハディース集』の前兆と現代の事象を同定してゆくという方法論を明確にする。全てのイスラーム教徒は、いと高き主の真実を、宗教の真実を知らねばならない。神の書に照らして、神の使徒の範例に基いて、これらのイスラーム世界に生じている事象を解き明かさなければならない。イスラーム教とその信徒に対するこれらの試練や陰謀に関して神の使徒が既に告げている確かな知識を知らなければならない。神の使徒はわれわれに忠告と、試練と殺戮の蔓延するこの時代において何を為すべきかを教えた。(同頁)『ハディース集』の前兆論を「人間社会や自然界の秩序の乱れ」と「超自然的な存在による終末的争闘」に分類しておいた。それに従って、ここではまず、現代終末論の論者が『ハディース集』の「人間社会や自然界の秩序の乱れ」の記述と現代の事象を結びつけてゆく作業を検討したい。現代の政治や社会の現象が『コーラン』や『ハディース集』の記述と結びつけられ、超自然的な批判が行われる。

現代の終末論で決まって終末の前兆として特定されるのが、湾岸戦争である。「アメリカによるイラクの打倒」は「非ムスリノムの勢力伸張」という要素を満たし、エジプトをはじめとするアラブ・イスラーム諸国の多国籍軍への参加によって「イスラーム教徒が相争った」ことは、まさに前兆としての戦乱であると論じられる。シャーミーは以下のように論じる。われわれの生きる時代において、イスラーム世界には数多くの事件が発生し、イスラーム教徒同士の戦乱が多発している。また、イスラーム教とその信徒を消滅させる数々の陰謀が実行されている。イスラーム教の敵である諸宗教・諸宗派・淫祠邪教の類が連合し、あらゆる土地で信徒を消滅させようとしている。あらゆる場所で試練が生じている。(同頁)国内政治の腐敗も前兆の到来とされる。たとえば『終末の時の小前兆』(バイユーミー著、一九九五年)は、「権力がそれにふさわしくない者たちの手に委ねられたとき、かの時は来るものと思え」といった預言者ハディースの言葉を引用したうえで、次のように現代政治を批判する。このハディースには、イスラーム共同体に被害を与えている者への言及が明白である。

支配権は彼らに渡っている。自らの欲望に忠実な支配者が専権を振い、酒池肉林に耽り、規範に背馳し、人々を思いのままに動かしている。無能な者が高位に就き、誠実な助言者は顕官の地位から遠ざけられる。官職が汚され、支配権がその任にあらずその民に属さない者の手に渡っており、疑いもなくこれらはハディースの示したもののうちに含まれる。(四六頁)社会倫理の退廃に関しては決まって「拝金主義」が指摘される。さきに挙げたバイユーミーの著作の表紙画は典型的である。イスラーム教徒の群集が、カーバ神殿ではなくドル札に脆拝している。バイユーミーはこれに加え「外敵の圧迫」「女性の増加、男性の減少と姦通の増加」「専制政治」「道徳の弱体化と規範の変化」「学問の衰退と無知の広まり」「モスクで人々が競い合う」「人々が家を華美に飾る」といった事象に言及するハディースの前兆論を次々と列挙する。そして、これらが今まさに生じているではないか、と論じる(四五-五六頁)。アーリフは『救世主の降臨の兆し、それはいつ天から降りてくるのか?』(一九九五年)で、社会的規範・倫理道徳・風俗慣習の乱れを問題にする。しかしハディースの典拠を提示し、それを現代的事象と同定するという作業すらアーリフはもはや放擲している。

古典的テキストの参照と現代的事象の描写が渾然一体となった次のような文章をみてみよう(括弧内も原文のまま)。統治が疎かにされ(すなわち神の下したもの以外によって統治が行われる)、人々は利子をむさぼり、大伽藍を建立し、歌い女を侍らせ、絹を身に纏い、ファラオの衣装が巷に溢れる(すなわちファラオの装束、ファラオの遺跡、ファラオの騰り高ぶった慣習と不信仰)。誓約は破られ、神の宗教を損なう。モスクは華美に飾られ、アザーン(祈祷への呼びかけ=引用者注)ぱ肉声でなくマイクで流され、人心は荒廃する(軍事的侵略と退廃した情報)。男は女に似、女は男に似てくる。男は男で、女は女で満足を得るようになる。(三一頁)「アザーンがマイク(スピーカー)で流される」とは、『ティルミズィーの伝承集』から引用した「モスクが騒がしくなる」という前兆を念頭に置いているようである。

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